日本伝統国技、柔道と剣道を知ろう!

柔道について

剣道について

スポーツしよう!

    柔道

    柔道と言えばいわずと知れたことなので当たり前だが、日本の伝統国技の1つである。オリンピックの公式競技としても長く利用され、世界大会も行なわれるほどのグローバル性を持つようになっている。

    日本に生まれたなら、一度くらいは皆柔道をしたことがあるのではないだろうか。中学・高校、あるいは小学校から既に授業として取り入れている学校もあるだろう。

    この場合、大方は剣道との選択式でどちらを勉強するのかということになるが、大半の人が柔道を選択する。決まっての理由としては、日常生活の中での身を守るための簡単な護身術的な要素を考えて学んでいるだろうと思う。

    しかしそこはさすがに学校の授業、教鞭と基礎的な実技だけでは簡単に身につくほど甘い競技ではない、有段者などから比べればそんな甘っちょろい考えの人は一ひねりされてしまう。武道というものは長年の蓄積と訓練が合ってこそ身につくものであって、たかだか2、3年程度で習得できる人は本物の天才だろうが、そんなの滅多にいるわけないので論外とする。

    とりわけ、そういった経験者は幼少時から道場に通って訓練を続け、将来的に見据えて続けて生きたいという人は競合と言われる柔道の強い学校へと進学するのが当然の進路と言える。

    筆者はそんな強豪校の出身だが、武道とは縁がない生活をしていたので学校には行ってからの授業で学んだ程度で終わっている。

    でもそこで考えてみると、意外に歴史というものを知らないということに気づいたので、少し学んでみたいと思う。

    中々いないと思うが、柔道を学んだことがない人でも分かるように簡単な説明となるが、柔道というものを紐解いていこう。

    歴史

    柔道とは元々相手を捕らえるなどの護身術『柔術』から発展した武道となっている。投げ技・固め技・当身技を主体とした型で、身体・精神の鍛錬と教育を目的にしているのが現代の柔道としての色合いとなっている。

    起源としては12世紀以降に武家社会で、武芸十八版と言われた武士の合戦時の技芸である武芸が成立し、江戸時代にその中から武術の1つとして『柔術』が誕生した。

    それから明治維新以降、柔術の練習者が減少していた中、官立東京開成学校、後の東京大学にあたる学校を出た学習院講師になったばかりの『嘉納治五郎』が、当身技を中心として関節技や決め技といった捕手術の体系を編む一方で、乱捕技としての投げ技も持つ天神真楊流柔術や、投げ技を中心としてほかに当身技なども伝えていた起倒流柔術の技を基盤に、起倒流の稽古体験から『崩し』の原理を深く研究して整理体系化したものを、これは『修身法』・『練体法』・『勝負法』としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして『柔道』と名づけ、明治15年、東京府下谷にある永昌寺という寺の書院12畳を道場代わりとして『講道館』を創設した。

    ここで初めて柔道という言葉が誕生したのではなく、それ以前から柔道という言葉が江戸時代にあったため、彼が発明した言葉ではない。そのため、当時の講道館の流派を『嘉納流柔術』と呼称したりもする。

    警察と柔道

    柔道というものを開発したとしている嘉納治五郎率いる講道館は明治21年ごろ、警視庁武術大会で主に楊心流戸塚派と試合を行ない、2~3の引き分け以外勝ったことから講道館の実力が示されたと、彼の著者から語られている。

    その試合後、三島通庸警視総監が講道館柔道を警視庁の必修科として柔術世話係として採用し、それを皮切りに全国へ広まったと言われている。

    現在でも日本の警察官は柔道、あるいは剣道が必修科目となっており、警察学校入学時に無断者の場合、在校中に初段を取る様にしなければならない規則まである。警察署では青少年の健全育成のための小中学生を対象とした柔剣道教室を開催しているところもある。

    学校教育と柔道

    先ほども述べたが、中学・高校に入れば例外なく在学中に柔道や剣道を学ぶことができる。

    教育としての始まりは1898年に旧制中学校の課題授業に柔術が導入されたとき、柔道も必修の正課になった。太平洋戦争後、GHQにより学校で柔道の授業が禁止されて以降、武道を学ぶことは禁止されたが、昭和25年の文部省の新制中学校の選択科目に再び柔道が採用される。ついで昭和28年の学習指導要領で、柔道・剣道・相撲が『格技』という名称で正課の授業とされた。

    その後平成元年の新学習指導要領で格技から武道へと名称が戻される。昨年からは中学校体育で男女共通に武道が必修科目として採用された。

    社会体育としての柔道

    社会としてなら、当然ながら武道家としての極みを追求ということもあるが、柔道が正式にオリンピック種目となったときから企業は実業団活動として積極的に力を入れるようになり、選手の育成にも余力を惜しむことなく育てている。

    今では警察柔道をしのぐ勢力にまで発展しているが、会社としては自分たちのブランドを高めるための役割を担わせているということもあるため、何とも言えない。

    結局は企業に所属している限り、会社員であることには変わりないのだ。しかし本来ならかかるであろう練習費や練習場といった不安もないので、選手としての立場からすれば文句は言いにくいだろう。

    国際的競技としての柔道

    もはや説明することはなく、柔道は今でこそ世界各地で親しまれている競技の1つとして普及している。オリンピックには1932年にロサンゼルスオリンピックで公開競技として登場し、それから32年後の1964年開催の東京オリンピックで正式に競技として認められる。その年においては、無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクが日本の神永昭夫を破って金メダルを獲得したことにより、そのときより柔道の国際的な地位を確立することになる。女子種目としても、1988年ソウルオリンピックにて公開競技となり、1992年のバルセロナオリンピックで正式種目として採用された。

    オリンピックの次に有名な柔道としての大会と言えば、やはり世界選手権だろう。この大会で優秀な成績を収めることが出来れば、オリンピック出場選手としての適正を見るため、現在でも選手達にとっては大事な大会の1つとして見られている。世界選手権は1956年に第1回大会が開催され、女子の大会としては1980年に開催となった。

    昔の日本としては、男子の競技を女子が学んではいけないという、男尊女卑の傾向が強かったこともあり明治26年以降は試合も禁止されて、昇段も『型』が中心となっていた。1979年夏、この年に行なわれた女子一線級と西ドイツのジュニア選手が講道館で対戦したが、日本は一勝三敗、しかも二人の選手が負傷するという、ジュニアであったドイツ選手にも関わらず惨敗し、その腕力の差があまりにも違いすぎたため、柔道界に衝撃が走る。

    型よりも腕力が当面の課題としての欠点を浮き上がらせる結果となり、筋力を鍛えなければまともに世界と戦えないと言うことを証明してしまうことになった。当時の女性の価値観を知らないので何ともいえないが、好き好んで筋力トレーニングしたいと思う人は中々いないだろう。上腕二等筋をボコボコになるなんて思う人は、女子ボディビルダーでもなければまずない。むしろ最近ではダイエット思考で柔道をやっているなんて人もいるので、プロとして活動していなければ鍛えたいと思う人もいたとしたらかなり稀な存在だろう。

    さて、そんな日本女子柔道の課題が生じても柔道の競技としての世界普及は止まらない。特に欧州・ロシア・ブラジルにおいては柔道の人気が非常に高く、特にフランスの登録競技人口はなんと50万人を突破しているのだ。それに比べて全日本柔道連盟の登録人口は20万人と半分にも至っていない、どんだけフランス人柔道好きやねん!? と突っ込みたくなってしまう。

    もともとの体つきとしての形成も欧州の人々の方が恰幅よく育つ生活スタイルをしているため、どうしても男女ともに体格差が出てしまうので、日本としては歯がゆいが文化の違いとしてみるしかない。しかし、先ほど書いた数字も児童の数や登録として認めている対象年齢が異なってり、また日本においては必ずしも選手としての人口ではないこともあり、一概にも比較できないので予め訂正しておく。まぁそれでもフランスが柔道強いという印象は皆持っているだろうと筆者は思う。

    実際に世界大会だけに焦点を絞ってみると、歴代のメダル獲得数も1位の日本が大差をつけているものの、2位にフランスが付いてきているので油断は禁物である。

    海外の格闘技としての柔道

    そんなわけでフランスを筆頭と考えてもいいくらい、柔道は国際格闘技としてドンドンその普及をしていく中で、日本独自だった技のスタイルも外国選手にあわせた技術の変遷を重ねていくことになる。そもそも小柄な日本人と比べると、体型も大柄な人が大勢いる外人と比べたら全ての技の型がそのまま使えるというわけではない。本来は護身術としての意味合いが強く、懐に入ってからの武術が発端だ、大柄な外人が小柄な日本人の懐に入るというのはきわめて異常な光景だろう。むしろ上から、銃なら銃口を頭に突きつけたり、剣をもっているならそのまま振り下ろせばいいだけの話だ。殺し合いの場で柔道の型を活かそうとするために懐に潜り込もうとするなんてただの自殺行為だ、思わず戦う相手も突っ込んでしまうだろう。

    というようなことももしかしたらありえるのだが、一番の理由としてはやはり自国で根付いている格闘技や、各々の民族に伝わっている民族武術を身に着けていることがほとんどで、その技術を柔道に活かせる場合は取り込んで、日本の型には無い新たな技術を開発したりするのが基本的な流れだろう。そういった経緯の中で完成された新たな柔道としてのスタイルは『フリースタイルレスリング』・『グレコローマンレスリング』・『キャッチ・アズ・キャッチ・キャン』・『クラシュ』・『コウラシュ』・『ブフ』・『サンボ』・『ブラジリアン柔術』といった、全く新しい競技が完成することもある。

    むしろその競技を学ぼうとする日本人もいたりするので、柔道関係者としてはいたたまれないだろう。海外の柔道はもはや日本の柔道とは全く別物の『JUDO』となりつつある。

    試合としての海外の柔道試合は現在でもポイントを狙うものだと思われがちという情報もあるが、筆者個人としてはそんな風には思わない。ちまちました戦いをしている人も中に入るのだろうが、今まで見てきたオリンピックでも海外の選手は綺麗な一本勝ちをしている、あるいはそれを狙っているという選手が、男女ともに見えるからだ。

    確かに勝つことも大事だろうが、やはり試合展開が豪快かつ大胆なものだと、人は一種のエンターテインメントとして見ることができ、より興奮を味わえる。というより、格闘技としてはやはりそういった劇的な内容であればあるほど、その魅力に惹きつけられやすい。そのことは選手としても同じだろう、皆どこかすっきりしない戦い方よりも、圧倒的な勝ち方を決めることができれば勝利をより深く感じられて爽快に違いない。

    そんな勝ち方を始めてみたのは、2000年開催のシドニーオリンピックでの谷亮子選手の決勝での一本勝ちだ。あの試合を見て日本中が歓喜に満ちたことは間違いないが、当時まだまだ無垢だった筆者としてもそこで格闘技という競技としての魅力の虜になった。それからは柔道のみならず、国際的な格闘技の生中継は欠かさず見ていたと懐かしく思う。

    一視聴者としてもそれだけの気持ちになれるのだから、選手として勝てば興奮は限界を超えてどこまでも上がるはずだ。

    そんな頂点を極めたものしか味わえない感覚を味わいたいと願う選手が大勢いるだろう、そして見せて欲しいという観客としての心理もある。やはり勝負事はすっきりと、はっきり決着がつく瞬間こそが最高に楽しいときだと、筆者は見ている。

    稽古方法

    柔道の稽古方法というのは流派によって異なってくるため、今回は講道館の柔道を参考に説明していこう。

    講道館柔道において、まずは形と乱取りを元に稽古を重ねていく。創設者である嘉納治五郎曰く『形とは、攻撃防御に関し予め守株の場合を定め、理論に基づき身体の操縦を規定し、その規定に従いて、練習するものをいう。乱取とは一定の方法によらず、各自勝手の手段を用いて練習するものをいう』と語っている。この場合形と乱取りは別物として考えてはならず、根本の原理、精神に差異というものがないからだ。初期の講道館においても嘉納や師範は『明治維新の前は柔術諸流の修行は多く形によったものである。幕府の末葉にいたって楊心流をはじめ起倒流、天神真楊流その他の諸流も盛んに乱取を教えるようになったが、当時なお形のみを教えていた流派は少なくなかった。然るに予が、講道館柔道において乱取を主とし形を従とするに至ったのは、必ずしも形を軽んじたが為ではない。まず乱取を教え、その修行の際、適当の場合に説明を加えて自然と各種の技の理論に通暁せしむるようにして、修行がやや進んだ後に形を教えるようにしたのである。その訳はあたかも語学を教える際、会話作文の間に自然と文法を説き、最後に組織を立ててこれを授くるのと同様の主旨によったのである』と述べている。

    ということのようですが、要は鍛えなければ何の話にもならないということだ。しかしいきなり柔道を始めようと技から入ってしまえば、あなたは大怪我をするために柔道を始めたんですか? なんて言われてしまうので注意しましょう。

    柔道にとって最も必要な動きと言えば『受け身』である。基本的に投げ飛ばされる競技なので、その時にきちんとした防御姿勢をとっておかないと骨折なんて日常茶飯事になってしまうので。初心者はまず受け身の練習から始めるのが基本中の基本となっている。

    受け身の前に『礼法』を覚えなければならないが、これはどんな競技でもあることなので当然学ばなければならないことなので、この二つは大前提として頭においておく。

    さて、その二つは練習する際に必ず頭に入れておいて、ようやくといった具合にスポーツとしての柔道を練習することになる。

    一般的に次のような練習内容となっている。

    ①かかり練習
    打ち込みともいわれているが、技の形を習得するための基本的な練習方法で、反動動作を繰り返すことで柔道における基本的な動作を体に記憶させることが目的だ。
    これができなければ自分だけでなく、相手にも怪我を負わせることになりかねない。柔道においてのウォーミングアップ的な練習、または乱取りや試合などに入る前の準備運動、と言ってもいいだろう。
    ②約束練習
    かかり練習の1つで、投げるほうと投げられる側・二人一組で行なうもので、予め何の技をかけるかを事前に決めて技をかける。その際に投げ方や抑え方のチェックをすることで、何がいけないのかという問題点を見つけて学習するための練習方法となっている。
    ③自由練習
    この自由練習というのが乱取りとも言われており、上記二つで学んだ練習内容を実践的に使用して、投げ方・防御の仕方・返し技の研究などをする、柔道の練習メニューとしては一番実施されているものとなっている。
    ④寝技練習
    抑え技・締め技・関節技の技術を向上させていくもので、これは練習を重ねていくことでその技術を伸ばしていくことができる。あくまで一般的な寝技だけなので、変な方向に考えないでおこう。
    その他にも、もちろん身体的な筋力トレーニングも欠かさず必要になってくる。日本人選手ならともかく、世界大会クラスともなれば自分より体格の大きい選手と闘うことになるので、相手選手を持ち上げるだけの筋力を持っていなければ正直話にもならないだろう。

    柔道において業の向上が最優先事項となるが、筋力も不可欠なのは当然で、またそういった練習で得た経験と肉体的負荷を講じて得た筋力の二つを、緊張感で満ちた試合で活かせるだけの平常心を鍛えることも選手には大事な要素だ。

    後は試合中は体力をフルに使うことになるので、時間内まで持つだけの持久力とスタミナは当然欠かすことはできない。一本で勝てばいいだけのこと、といっても綺麗に一本勝ちを決めることは中々難しいと長年練習しているプロでさえかたるほど、試合でそんなにぽんぽん決まるようなものでもない。

    当然のように一本を決める試合が続出したら、それはそれで面白いかもしれないが負けたほうとしてはこの上なく敗北感は強いだろう。しかもそれを何回も繰り返すことになればやる気なんて続くわけがない。

    とまぁ、少し余計な話を挟んでしまったが、ひとまずの稽古の流れとしては先に説明した通りとなる。

    記述体系

    講道館柔道の技としての技術としては主に三つに分けられる。

    • 投技
    • 固技
    • 当身技

    この技術としての体系は柔道としてではなく、護身術としての色合いの方が強いためスポーツとしては中々成立しない。この技術の過程から、『崩し』・『作り』・『掛け』の三段階に分けて概念化した。

    またこれと平行して立技・寝技にも分類することになるが、寝技は審判判定においては使われる寝姿勢における攻防のこととなっており、固技と同義にはならない。また締め技と関節技は立ち姿勢でも施すことが可能となっている。

    だがこれらの技術の中には試合では実際に利用してはいけない技もあり、ポイントとなる技は全部で92本となっている。一本で勝てればいいのだが、さすがにそんなに都合よく展開はいつも回っては来ないので、試合としてのポイントとなってくるのはやはり寝技となる。従来の柔道の試合では寝技を軽視していた機雷があったものの、近年では逆にその重要性を考えて取り組みが強化されるようになった。IJFルールの改正においても寝技の攻防時間が短縮して決着の早期化が図られ、外国人選手による捨て身技や返し技といった一体化した寝技の技法が普及したことにより、寝技が肝心になってくると広まるようになる。